お乾燥わかめのはなし

ボカロPやってるものです。

最近作曲してて思うこと

 昔の曲と比べて、とにかく歳をとったなぁ、と。中学生の自分の書いた歌詞のなんと若々しく元気でそして世間知らずで幼いことか。他人からではわからない、そして自分ですらも知らない変化が確かに起こっているのだと実感する。それは成長というより老いに近い。

 英語の文法はめちゃくちゃに間違っているし、ガキのくせにビゴーの猿真似のような社会風刺をしようとしているが、それでも中学時代の歌詞は愛おしい。今見返しても元気付けられるような率直な歌詞が多い。しかし、そういう曲ほど曲としては完成させていないことが多いのだ。理由は簡単だ。バンドに部活に、と遥かなる入道雲を背に走り回っていた頃の私には、そんな曲は必要なかったのだ。もちろん、それでもメロディーは大抵覚えている。だから、それをふと思い出して口ずさんでみれば、勇気づけられると同時にどこかノスタルジーに呑まれるような切ない気分になる。

 しかし、それと比べて今の自分の作る曲が劣っているだとか、能力が衰えただとか思っているわけではない。ただ、昔から似たような曲ばかり作っているつもりで、もう二度と同じ曲は作れないのだと思うだけだ。今の自分の作る歌詞は技巧的で、唯美的で、ブラーをかけたように誤魔化しがよく効いている。現代社会の悪い面を体現するかのように、匿名性が高い。それでいて聴く側にはある程度の前提知識であるとかベーシックな洞察力を要求する。これは、中学生の自分が憧れていたものにはかなり近いと思う。けれど、今になってようやく、中学時代の曲がそれに劣るものではないと理解するのだ。この移り変わりは、三代和歌集の傾向の移り変わりと似たようなものだろう。進化しているようで、後世から見ればどれが良いとかいうわけではない。

 過去を振り返るのはこの辺でよすとして、私はこれからも「現在」に軸を置いた曲作りを大切にしたい。くたびれた高校生が片手間に作った曲でも、酒を浴びる頃の私から見たらきっとフレッシュなんだろうから。DTMを始めた頃にダウンロードした無料のギター音源の音にすら、諸行無常の響きあり、というわけだ。